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東京からパリへ、まずは出発。

6月1日(金) 東京→はれ パリ→くもり 東京からパリへ、まずは出発。



平日出発だから、飛行機は空いてるだろうなぁ~、シート3席使って寝ちゃおうかな~、なーんて期待していたのですが・・・とんでもありません、メチャ混みでした!
しかも通路側の席すら取れない状況で、空港でいきなり眩暈がしました・・・
客層は、若くない方々の団体が非常に多く、時期によって旅行の年齢層ってまるで違うんだなぁと、改めて思いました。
(2月や3月は卒業旅行の学生ばっかりだし、お盆はファミリーが多いような気がします)

airport2001.jpg

わたしの席のお隣は、多分わたしより若いおねーさんでした。一人旅かしら、なんて思っていたらかいがいしく他のお客さんのお世話を始められました。団体旅行の添乗員さんだったんですね。
添乗員さんは、席についているときは、ずっと観光地の勉強をしておられました。東欧方面のツアーだったみたいですが(←プラハとかブダペストの観光名所を勉強していたから・・・)、今ココで勉強してるのがお客にばれたら、頼りないと思われるんじゃないのかなぁ?と、人事ながら心配しちゃいました。

さて、飛行機はエールフランスなので、パリまではひとっとびです。アテンダントもフランス語バリバリなので、既にフランスにいるような気分になります。(右の写真はシャルル・ド・ゴール空港です~)

通路側の席ではないので、ヒマだったら機内をうろうろするわけにも(おいおい)いきません。 おとなしく寝ておくことにしました。
前日はほとんど寝ていなかったこともあって、爆睡。おかげで12時間のフライトも苦になりませんでした。社会人になってからの旅行はいつもこんなパターン・・・

今回は空港からホテル間の送迎までついたらくちんなツアーなので、前回のように空港でまごつくこともなく(これも旅の醍醐味なんですが・・・)、何事もなくホテルに到着しました。ホテルについたのは夜の19時半過ぎ。
今回の宿泊先は、メリディアン・パリ・エトワールといって、パリの左端にある巨大ホテルなんですが、わたしとホテルの格式が笑っちゃうくらい釣り合わなくて、なんだか申し訳ない気持ちになりました(笑)
今回は連れがあまり旅行慣れしていないので、日本人客が多くて、日本語のサポートをしてもらえるホテルというここでココに決めました。でなきゃわたしは泊まれません。

4個も星がついているとはいえ、アメリカンスタイルのホテルではないのでまだなんとかなりましたが、これがモロにヨーロピアン調なホテルだったら、とてもじゃないがジーンズで入れないわ・・・イメージ的に。
周りのレストランも、ホテルの格式に合わせたような値段で、とてもこの辺じゃ食べられないなぁと覚悟を決めました(^^;)
今度は、説得してでももうちょっと、(わたしにとって)安心感のあるホテルにしよう・・・
実は、この時点で余力があれば、本屋さんに地図を買いに行こう!と思ったのですがやはりへろへろで、あえなく挫折。明日からのオタクテイストバリバリな行程に備えて就寝しました。

セーヌ右岸探索

6月2日(土) くもり セーヌ右岸探索



パリの右岸(地図で見るとセーヌ川の上)を探検しよう!ということで、まずはコンコルド広場に。
広場に面して、チュイルリーの移動観覧車よりももっと大きい観覧車がぐるぐる回っていましたが、連れが高所は苦手だというので仕方なく断念しました・・・。ひとりでも乗っておけばよかったかな。

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お名残に撮影した観覧車。でかーい!

サン・トノレ通りを通って、ルーブル方面へとてくてく歩くことにしました。この通りは、18世紀に既に存在していた道で、アンシャン・レジームからフランス革命期も、様々な場面で登場します。

まずはローズ・ベルタンの店があったあたり。(右写真)
パリでは、歴史的謂れのある建物にはプレートかタテ看板がくっついていますが、ここは建物も新しくなっていることもあって、当時の面影はありません。

サン・ロック教会
理代子先生の「エロイカ」の最初の方で、ナポレオンがパリ市内で大砲をぶっ放すシーンがありましたが、そのときの大砲の跡が残っているそうです。
わたしが行ったときは、外装の大部分が修復中で、大砲の痕跡を見つけることができませんでした。
(もっとも壁面がぼこぼこなので、どれがどれだかさっぱりわからないという説も^^;)
とにかく、こんな密集した通り、しかもパリの中心部で大砲を使用した、というのには驚かされます。
ベルナールいわく「彼はコルシカ人であってフランス人ではないから」とのことですが・・・日本人にはちょっとわかりにくい感覚ですね。

ロベスピエールの下宿先
これが判りにくいところにあるのですよ(^^;)。
番地のプレートの下には奥に通じる通路だけしかなく、かなり入ることが躊躇されます。
それにも負けずに奥に入ると、これまた狭い通路があって、その一番奥が彼の下宿先でした。
1階はレストランになっており、テナントが入っているため、2階にはおそらく入れません。
前にきっと期と、ずいぶん違う雰囲気になっていました。ロベスピエールが使ったという隠し階段に通じるドアというのも、余計判りにくくなったような気が。

そのあとは別行動で、わたしひとりでモードと織物・装飾芸術博物館へのリベンジを試みました。(以前に来たときは修復中でした)
この二つは隣接しているので料金は共通です。まずは装飾芸術博物館にトライ。
すると・・・中世とルネサンスの展示は行っていたものの、(わたし的には)メインの17世紀以降のフロアには「改装中」の文字が!
(たしかに2001年まで改装というのは知っていましたが・・・ううう・・・)
しかも開いているフロア自体もかなり狭い範囲でした。
ということはまだ、修復は続いているのですね(T_T)
気を取り直して、お隣のモードと織物博物館へ。
こちらもなんだか、ガイドブックに書いてあるのよりはこじんまりした雰囲気だなぁ。
と思ったら、こちらは「特別展のみ」展示する、とのこと。18世紀の服もちょこっとありましたが、大半は20世紀の服飾で、キレイではあったものの、ちょっと物足りなさを残しました。

コイン・メダル博物館
パレ・ロワイヤルを通って、北側に出てすぐのところに国立図書館があります。その中に入っており、入場は無料でした。
ここは、革命期に貴族から没収したコインやメダルを中心に展示しています。2フロアほどのこじんまりとした造りですが、じっくり見られるちょうどよい広さだと思います。
絵葉書などには、アントワネットのコインも見られたのですが、なぜか展示はされていませんでした(泣)。
メダルは、通貨というより何かの記念に作られたものという意味合いが強いと思います。下の写真は、ルイ16世の父(王太子)の記念メダルです。おそらく、亡くなった時に作られたものでしょう。

左から、ブルゴーニュ公、アキテーヌ公、ベリー公、プロヴァンス伯、アルトア伯です。真ん中のベリー公が、後のルイ16世です。

ポリニャック夫人の家
いまはスウェーデン文化センターになっています。
ポリニャック伯夫人だけでなく、彼女の実家のポラストロン家の人も住んでおり、大所帯だったようです。(といっても、普段はベルサイユにいるのでしょうけれど)

国立公文書館
スービーズ館とも呼ばれています。
入り口には、「アントワネット展」の垂れ幕が!
もう終わっちゃった企画展だと聞いていましたが、わたしのために、会期を延ばしてくれたのか?(おいおい)
・・・というわけでは勿論なく、展示は終わっていました。
だったら飾るなー!・・・悔しいからとりあえず写真を撮っておきました(笑)
建物内部はまだ片付けの最中でした。
要するに、てきぱきと仕事をこなしていないだけなんだな~。
観光ポイントだけかもしれませんが、基本的に職員は勤勉でない人が目立ちました。
有料トイレの入り口に陣取ってるおばさん(この人に50円くらいのチップを払ってトイレに入ります)や、博物館の切符切りに人なんか、居眠りこいてました。
あとは閉店(閉館)30分前から、閉める準備をしているとか。
個人的にはうらやましい職場環境ですが、お客はたまったものではありませんやね。
日本もこういう人ばっかりだったら、私も働きやすいのだがなあ~。

展示物がずいぶん減ったように思うのは、これまた気のせいか、特別展の余韻なのかは判らないのですが、ルイ16世とアントワネットの遺書は見ることができました。
・・・初めて気がついたのですが、ロアン大司教の肖像画なんてのも飾ってありましたよ。

あとはヴォージュ広場からバスティーユ広場に抜けて、とりあえず今日の行程は完了~。
心の中で、しっかりバスティーユ詣で(笑)もしましたよ!

セーヌ左岸探索

6月3日(日) くもり セーヌ左岸探索



この日は左岸、つまりセーヌ川の下側を探索。
左岸の7区あたりは、貴族の館が沢山残っています。
官公庁として使用しているところなんかは、内部に入るどころか写真を撮ろうとするとガードマンに注意されるところもありますが(軍関係なんか特に厳しいような気が)、たとえばロダン美術館なんかは、ビロン将軍の家をそのまま使っていますから、彫刻と内装を併せて見るのも楽しいかもしれません。・・・結局行かなかったけど。

ブルボン宮(現・国民議会)からスタートして、お貴族のお屋敷をぷらぷら眺めながら歩いて、サン・ジェルマン・デ・プレ教会へ。
ここは、アベイ牢獄があったところです。もとはこの教会に付随する広大な修道院でしたが、牢獄として使われるようになりました。
「ベルばら」作中だと、衛兵隊員が命令違反でここに収監されますが、助け出されます。
一応史実についてもふれますと、1792年9月に起こった「9月虐殺」の舞台となり、収容されていた反革命容疑者が虐殺されたところでもあります。

牢獄跡というのはほとんど残っていないそうなので、とりあえず教会の中にでも入るか・・・と思ったら、祝日なので(たしか聖霊降誕祭、だったかな)ミサが執り行われていました。
異教徒(笑)はちょっと入りにくい雰囲気だったので、外観から眺めるだけにしておきました。
写真が思いっきり逆光ですんまへん・・・

地下鉄に乗り、オデオン駅周辺を徘徊です。
このあたりは、ベルばらとは直接カンケーないんですけど、革命史的には見所が多いところでもあります。
ベルナールのモデルになったといわれるカミーユ・デムーランとその妻リュシルの家、リュシルの実家、ダントンの住居跡などなど。
すでに旅行のコーナーでも取り上げている「カフェ・プロコップ」もこの付近にあります。
ちょうどランチタイムだったのでココで食事を、とも思ったのですが・・・あんまりお腹が減ってないし、苦手な海産物フェア(?)だったので、これも外観から眺めるだけにしときました。


おいしそうだったんだけどなぁ・・・>お料理

・・・それにしても今日は、入場料を払ったり、開館時間を気にしなくてもいいところばかりですね(笑)。
それもそのはず、今日は祝日。たしか、聖霊降臨祭、だったと思います。
こういう日は、博物館などはまずクローズですから、あえてこのような行程になったわけです。

そしてまたまた地下鉄に乗り、サン・ミッシェル界隈へ。
エスニック料理屋さんが多くひしめいている裏通りがあるのですが(そういえば以前この辺でアフリカ料理を食べた・・・)、その通り沿いにロラン夫人の住居跡があるということなので、それも通りがてら見ておきました。原形はとどめていない感じでした(^^;)。
このあたりでお昼ゴハンを食べたいなぁと思ったのですが、結局落ち着いたのはマック・・・。とほほほほ。
でも、フランスの各地方の特色を生かした日替わりバーガーなんてのが売っていたので、一応コレを注文しました。
わたしが食べたのはプロヴァンス風。
どの辺がプロヴァンス風なのか、フランス料理に疎いわたしにはちょっと判らなかったのですが、おいしかったですよん。

リュクサンブール宮殿
・・・なぜか今まで、一度も来た事がありませんでした。
アンリ4世妃のマリー・ド・メディシス(ルイ13世の母)が造らせた宮殿で、革命期には牢獄として使われていた時期もあり、リュシル・デムーラン、画家のダヴィッドなんかもここに収監されていたそーです。
現在は国会上院になっていて、事前申し込みをしないと見学できないとのこと。
お庭の周囲には、歴代フランス王妃の彫像が並んでいるようです。「ようです」、というのは・・・全部見て確認したかったのですが、この時点で既に足が棒のようになっていまして断念。
あ・・・オタク失格だわね、わたし。
メアリ・スチュアートの彫像もあって、「え?」と思いましたが、幼い頃にフランスに渡ってフランソワ2世の王妃になっていた時期もあったから、たしかにフランス王妃だったんですよね。なんだか意外・・・。

公園のベンチでひとやすみした後は、またてくてく歩いて、カルム修道院跡へ。
前述のアベイ牢獄と同じく、ここも「9月虐殺」で多くの人が虐殺された場所で、革命のもつ残酷さを垣間見ることができると思います。中庭には許可がないと入れないので、教会の中に入ってまた一休み。

ヴァル・ド・グラース
ここの教会には、ブルボン王家の子女の心臓を納めているということで、ルイ・ジョゼフものもあったりするのかしらん・・・と思ってとりあえず行ってみました。
が、教会に入ったとたんに、いきなり係のおねえさんにおん出されましたわ(涙)。
教会もトビラを閉じて休んだりするから(サント・マルグリート教会みたいにさ--;)、ちょうどそんな時間だったのかも。と思うことにしといてやるぜ。
うぬう、今に見ておれ!

・・・これも、フラ語ができたらちょっとは違う結果になったかしら。しくしく・・・



観光客はやっぱり皆無・・・(苦笑)

サン・シュルピス教会
カミーユ&リュシル・デムーランの結婚式が行われた教会です。
デュマの「三銃士」では、このあたりに銃士たちの下宿があったとされています。
日本で、ちゃんと彼らの下宿先の住所をチェック入れとけばよかったなぁ、とちょっと後悔・・・。


教会正面の広場からは、この教会の前景が撮れません。デカすぎて。
というわけでナナメから。
塔の片方は修復中。、今見えるもう片方の塔は、途中で造るのやめちゃったので
造りかけのまま、今に至っているとの事。いいのかこんなんで・・・。

 

 

ダイヤモンド展(その1)
自然史博物館というところで開催されているダイヤモンド展。ここは今回の旅行中、お目当てのひとつです。
前もって、夜に行った方がいいという話を聞いてはいましたが、昼間に会場に辿り付いてしまいました。会場に付くまでに通る植物園で、きれいに咲き誇るバラの花を愛でつつのんびりと会場に向かうと・・・
突然行列が始まっており、「もしや・・・」と思って行列の先を辿っていくと、やはりダイヤモンド展の行列でした。
時間も限られた観光旅行でもありますので、ここで1時間も2時間も並ぶのは得策でない、という判断をしてとりあえず引き返しました(^^;)
東京の上野でダイヤモンド展(パリで開催しているものとは違いますが)も、どえらい行列と人の頭しか見られなかった展示会を思い出しましたが・・・フランス人もダイヤモンド、好きなんですね。


ずらずらずらずら。推定2時間待ち・・・

寒いさむーい!
あまりに寒いので、長袖の服を買おう!と、事ある毎に店先を除いていたのですが・・・
祝日だけあって、お店はほぼ全店クローズ!(デパートとかは行ってないので開いてたかも)
シャンゼリゼなんかも歩いたのですが、開いているお店はカフェやお土産やさん、CDショップくらいでした。
天下の繁華街(?)だろうが観光シーズンだろうが、お構いなしに休んでしまう心意気に、呆れるやら敬服するやら。
「休日」に関する考え方が、日本人とはまるきり違うのでしょうね。休日=かきいれ時と見てしまう、わたしのセセコマシサを再確認してしまいましたよ・・・。

しょうがないなぁ、と諦めて帰途につく途中、ホテルの近くのGAPが開いていたのを発見、慌てて駆け込みました。
(そういえば以前の旅行でも、寒くて服を買いに行ったのがGAPだった--;)
・・・でも、もう季節はすっかり夏モードのようで、長袖なんて売ってないんですね。
とりあえず寒くなさそうな服を探していると、【半額コーナー】で、ようやく長袖のニットを発見!半額以下だったので、2000円そこそこで買うことができました。

ヴォー・ル・ヴィコント城訪問&「ダイヤモンド展」

6月4日(月) はれ ヴォー・ル・ヴィコント城訪問&「ダイヤモンド展」



17世紀、財務総監のフーケは、この豪華な城館にルイ14世が招いたものの、逆に「王より豪奢な城館を持つ」ということで不興を買い、後に公金横領罪で逮捕され、終身刑を受けます。
ヴォー・ル・ヴィコントの城と庭園を手がけたメンバーを起用してルイ14世が造ったのが、ベルサイユです。
つーことで、ベルサイユの生みの親というか、源流だと思っています。
ここがなければベルサイユもあれほど壮大にならなかったんじゃないかなーと思いますし、「ベルサイユのばら」も生まれなかったかもしれない(そりゃ大げさか)!と思うと、行かずにはいられないところでした。

こちらには、単独で乗り込みました。
有名なお城だから、観光客もいっぱいいるだろう!とたかをくくって電車に乗ったものの、どうも観光客っぽい人が乗っていない・・・。
げ!ひょっとして、電車を間違えたか?
でも行き先はあってるはずだしなぁ・・・とちょっとドキドキしはじめたころ、「こんにちは~」と背後から声をかけられました。
多分同い年くらいの日本人のおねーさんでした。

用件はというと、
「地下鉄の切符が余っていたら売ってくれません?」
「10枚で58フランの回数券だから、2枚で10フランくらいでいいですよ」
ということで、交渉が成立したのですが。・・・おねーさん、小銭持ってませんでした。
「じゃあ、アメ玉3個くらいください~」
結局、妙な物々交換を車内で行ってしまいました。
このおねーさんはマルセイユから北上してきたツーリストで、フォンテーヌブローに行く途中でした。
フォンテーヌブローだったら、昨日のTVでナポレオンの博物館の特集してましたよ~なんて情報をやり取りしている間に、わたしがフランス語がぜーんぜん!できないということがバレてしまいました(笑)
そしてついに聞かれた、この質問!

「(フランス語ができないのに)どうして何度もフランスに来てるんですか?」
ピキィィ・・・ン!  ←白目で固まっているわたしを想像してください
ああ、正直に答えようかどうしようか・・・

【建前】フランスの歴史に興味があるんですよ~
【本音】ベルばらオタクだからでーっす♪

・・・数瞬の後、勇気を出して本音を述べることに。
(まぁ、この人ともあと10分くらいでお別れだし、いっかな~)というごく軽いノリで。
すると、思いも寄らぬ回答が!
「わたしもねぇ、ベルばらからフランスにはまって、学校でフランス語を勉強したのよ」

おおお・・・わが同志よ・・・!

そしてわたしの語学力を補って余りある(のか?)オタクな情熱を賞賛してくださいました。
いや、単なる怖いもの知らずだと思われてるだけかもしれないけど(ガーン)。

そうこうしている間に、Melun(ムラン)という駅に着きました。
ヴォー・ル・ヴィコント城に行くにはココが最寄の駅だし、フォンテーヌブローに行くにはココで乗り換えなくてはいけなかったから、ふたりとも下車しました。
そして相変わらずツーリストの影は、わたしたち二人以外に見当たらない・・・
とりあえずこの同志のおねーさんとはお別れして、いよいよヴォー・ル・ヴィコント城に向かいます。


お城には、Melun(ムラン)駅からタクシーに乗るというのはガイドブックにも載っていましたし、駅にツーリストインフォメーションがあるのも知っていたので、あとはまぁなんとかなるだろう!と思っていました。
が、タクシー乗り場にはタクシーも人もいないし、なんとツーリストインフォのカウンターはクローズ!
午前11時近くになっていたので、営業時間はとっくに過ぎているはずなのですが・・・。
フランスの方々の勤労感覚を、まさに体感した瞬間です。

カウンターで身振り手振りならともかく、わたしには、フランス語で電話でタクシーを呼べる力はありません。
ああ、どうやってタクシーを呼ぼうかな~、その辺の人に頼んじゃおうかな~と、しばらく駅構内をうろうろしていたら、先ほど別れたはずのおねーさんにばったり再会しました。フォンテーヌブロー行きの電車が出るまで間があるんだそうです。
ココで幸いとばかりにタクシーを呼んでもらい、なんとかタクシーに乗り込むことができました。
いや、ホントにラッキーというか、悪運が強いわたしです。
わたしには、オタクな神様がいつもついているんだね(いねーよ)。

タクシーで15分くらい田園風景の中を走ると、お城が見えてきました。
お城の駐車場には、乗用車がぎっちり。
【結論】こんなとこころにまで、タクシーで来るヤツはほぼ皆無のようです・・・。

お城の中は、フーケ一族の栄光と挫折というような流れを感じました。親族の肖像画(版画)が、白く塗りつぶされているのがなぜか気になりました。
終身刑を受けたのはニコラ・フーケだけで、特に連座制なんかなかった様に思うのですが、親族も苦労をしたのかもしれませんね。

ルイ15世の間、ルイ16世の間などと名前の付いた部屋もありますが、これは彼らが使用した部屋ではなく、内装や調度品の様式にちなんでつけられたものです。
王族が遊びに来た例というと、ルイ15世の妃、マリー・レクザンスカ(ルイ16世の祖母)が行幸した際の絵が今も城内に残されています。

地階は厨房やワインの貯蔵庫になっていて、ヴァテールが働いていた様子なんかが窺い知ることができました。
ヴァテールは17世紀の料理人で、フーケの料理長として雇われました。ルイ14世をこの城館に迎えた際に催された饗宴を取り仕切ったのも彼です。
彼の発明した料理のひとつにホイップクリームがありますが、これはその時に考案されたものといわれています。
前日のフーケの逮捕によって、ヴァテールはしばらく国外に亡命を余儀なくされます。
帰国後はコンデ公に仕え、映画の題材にもなった「シャンティイ城での饗宴」が原因で自殺してしまいます。
(詳細は「宮廷料理人ヴァテール」という映画をご覧ください)



中央になぜかヴァテールが。
映画とはずいぶんイメージが違いますね。

お庭に出ると、これがまた月並みな表現ですが「まるで絵のような」風景が眼前に広がります。
「絵のように」キレイなのはもちろんですが、なんだか現実感が希薄なくらい整った庭園です。
遠近感もすっかり狂ってしまって、お堀の向こうなんてカンタンに行けそうです。


写真中央奥の緑色の丘陵までレッツゴー。

いかん、自分は(遠近感に)騙されておーる!
とは思うものの、せっかくここまできたのだから、と、結局歩いてみることにしました。
お庭の隅っこには、ゴルフ場でよく見るカート(ゴーカートみたいなやつです)がレンタルできて、45分で80フランで借りることが出来ました。これでお庭の散策もラクラクこなせますね。
・・・でも、一応まだ20代で、しかも一人でこんなん乗り回すというのに不思議な抵抗があったのと(「いい年した娘が歩かんと」という目で見られそうなのが怖かったのかな)、その日わたしは身分証明書を持っていなかったので、結局乗ることは出来なかったのですが。

さて、お花なんかを見ながら歩いていくと、目の前にお堀が。
どうやって渡るんだろうな~なんて思っていたのですが、もちろんお堀に橋なんてかかってません。
・・・延々とお堀の外周を歩いて向こう岸に渡るという方法しかありません・・・。
外聞を気にしてカートを借りなかったわたしですが、このお堀を見てからかーなーり、後悔しました。
そんな折、もうもうと砂ぼこりを上げて疾走するカートがわたしを追い抜き・・・
ヒッチハイクするかこっそり後ろに飛び乗るかしようかなーと半分マジで考えながら歩いて、結局自力でお堀の向こう側の岡の上まで登りきることが出来ました。
こりゃもう、登山のような爽快感がありました・・・


絶景かな、絶景かな。

このポイントで約10分間昼寝ののち、同じ道を辿ってお城に帰還。付属の馬車博物館で、18世紀までの馬車だけ熱心に見て(だってへとへとだったんだもん)、お土産やさんのおねえさんにタクシーを呼んでもらいました。
帰りのタクシーは、行きと全く同じ運転手さんでした。やっぱり、お客さん少ないのね・・・
楽しかったか?というようなことをフランス語で聞かれたのですが、フラ語ダメダメなので、楽しかったー!ということをかろうじて英語で言ってみましたが、通じたかどうか・・・。
今度からは、「おいしかったです」のほかに「楽しかったです」というフレーズも覚えようっと。


ダイヤモンド展
さて、無事にパリに帰還後、連れと合流して、前日に引き返したダイヤモンド展にリベンジしに、再び会場に向かいました。
時刻は20時近く。(この展示会、23時過ぎまでやるんですよ)20時といってもまだ明るいので、全然夜って感じはしません。
気になっていた混み具合ですが、さすがに夕方に行ったときよりは行列が短くなっているので、これならまぁいいかと思い、行列に参加しました。


入り口です~

植物園は明るかろうが暗かろうが定刻に閉めるので、植物園のお客を追い出そうと、係員のおばさんが、ぴーぴーと笛を吹きまくっていました。これをぼんやり眺めながら10分か15分くらい待って、会場に入ることができました。

会場内は、基本的に薄暗くて、ダイヤモンドの輝きがより強調されていました。
ダイヤモンドを理科チックに分析するコーナー、歴史上の人物の肖像画に描かれた宝石の解説、そして現代のジュエリーデザイナーによる作品まで、盛りだくさんでした!

特に歴史上の人物のコーナーでは、肖像画に書かれた人物と、今まで気にも留めなかった宝石の解説がありまして、非常に面白かったです。
アンリ2世の妻、カトリーヌ・ド・メディシスのドレスは、真珠とダイヤモンドで埋められていて、実家のメディチ家の財力もうかがえますが、なにより「コレ着て歩けるのか?」と心配してしまうほどです。
ナポレオンの2番目の妻、マリー・ルイーズのティアラは肖像画と、そこに描かれたのと同じティアラが飾ってありました♪
アンヌ・ドートリッシュ譲りのダイヤモンドを大きな赤リボンの真ん中につけてご満悦のプチ・ムッシュ(ルイ14世の弟)や、
プロヴァンス伯の肖像もあって、身につけている宝石は母親の遺品とか、オタク心をそそる解説が付いておりました。
ルイ16世とマリー・アントワネットの長女、マリー・テレーズの全身を描いた肖像画もどーんと飾ってありました。
立ち姿を描いた全身像なんですが、初めて実物をみました。
意志の強そうなしっかりしたまなざしで、ブルボン家のほかの面々とは明らかに違う雰囲気がします。
もっとも、彼女が歩んできた人生を思うと、のんきな顔もしていられないのでしょう。わたしにしては珍しく粛然とした気持ちになりました。
解説には、身に付けているダイヤモンドはアントワネットの遺品だとありました。
(推測ですが、革命期に散り散りになった宝石類を、後年集め直したんだと思います)
王政復古後もこういったものを身に付けている彼女のエピソードを指して、ダイヤモンドのジュエリーは不屈の精神を誇示するものためのものになったというようなことが書いてありました。 英語の解説なんで訳がアヤフヤですが、こんな意味のことが書いてありました。
マリー・テレーズは、彼女ほど波乱万丈な人生を歩んだ割には、あんまり注目されてないんですけど・・・日本でも伝記とか、ぜひ出してほしいものです。

最後にマリー・テレーズの肖像画をもう一度拝んで、会場を後にしました。
パンフレットは2種類あって、分厚い方は高いし重いしで諦めました。やむなく小さい方を購入です。
帰りはさすがにへろへろで、優雅にタクシーで帰ってしまいました。夕暮れ時のパリ中心部をほぼ横断で、よいドライブになりました(^^)
翌日はいよいよベルサイユに出発です!

ついにベルサイユへ!

6月5日(火) はれ ついにベルサイユへ!

宝塚でベルばらを上演していた際に、ベルサイユ宮殿内の「黄金の間」を修復するため、寄付を募っていました。
その寄付金の贈呈式が今日、ベルサイユ宮殿で行なわれます。
宙組公演でフェルゼンを演じる和央ようかさん、アントワネットを演じる花總まりさんも出席するので、その日程に合わせて日本からもツアーが組まれています。
なんとこのツアーとホテルが一緒なので(さすがツアー御用達のホテルだ)、ひょっとしたらそのツアーのお客さんに話を聞けるかもしれない!と、甘い期待を抱いていましたが・・・ この日の朝、朝食をとろうとエレベーターに乗ると、振袖姿の日本人女性2名と遭遇しました。
これは95%、贈呈式ツアーのお客さんだ! と確信して、いきなり色々話し掛けてしまったので、かーなーり、警戒されたようです。
怪しいやつじゃないのに・・・(と言い切れないわたし)
話を聞いた限りでは、やはりこのツアーの参加者で、朝8時に出発なんで大変ですう、ということでした。
・・・おいおい、今は7時45分、出発15分前でっせ!
団体行動をものともしないマイペースぶりに感心するやら呆れるやら・・・人のことは言えないけど(^^;)
振袖って、日本人でもあまり見慣れないけど、外国ではなおさらです。
こんなフォーマルな服装で出席ということは、小汚いわたしのような格好ではとても潜りこめんな・・・と、「あわよくば贈呈式に潜入作戦」はあえなく頓挫しました。
(いや、わたしだって寄付はしたので、参加資格が全く無いとは言い切れまい?)

■いよいよお城へ
お天気も良好で、セーターはまたもや不要です。・・・ふん、いいもんいいもん。ちぇっ。
開館時間直後に行ったので、人もまだまばら(・・・というより、お城が大きいから人もまばらになる、そんな感じ)です。


素晴らしい天気・・・だけどこれが仇になろうとは!(白目)

当初の予定では、午前中の宮殿は混むから、先にお庭を見て、あとからお城を見よう!
というものでしたが、この人のまばらさに乗じて、先に一般見学のコースに行っちゃおうと野望を抱いて、城内に入ってみました。
が、その瞬間・・・
、団体の波がいくつもいくつも押し寄せてきました(涙)。
おかげで、もみくちゃになりながら見学をする羽目になってしまいました。
ああ、やはり、当初の計画通りにすりゃよかった(T_T)。
し、しかも、この時間帯は、直射日光を室内に入れまいという配慮からか、カーテンがびっちりと閉められ、お部屋が真っ暗でモノがよく見えず。
団体対策もさることながら、日光の向きも考慮に入れないと、充実した見学はできないなぁと思いました。
またひとつ身をもって学んだわ・・・

ガイドさんの話をそっと小耳にはさむ戦法(あまりマネをしてはいけません)も、方々からいろんなガイドさんの話が耳に入ってしまって、お客さんたちもちゃんと聞けてんのかな?と心配しちゃうほどの大にぎわいでした。もちろん作戦も遂行できず(笑)。


映画"Lady Oscar"で、舞踏会で使われたお部屋だと思います。

一般見学用の順路を一通り終えると、階段を降りて表に出ますが、ここに来るといつもベルばらを思い出してしまいます。
オスカルめがけてシャンデリアが落ちてくる場面です。
ポリニャック伯夫人と陰謀ということになっていましたが、あれって実際、狙いを定めて落とすのって大変ですよねえ。
シャンデリアに蝋燭をともす為に、シャンデリアの吊り下げ箇所はコントロールできるはずです。
多分そのあたりに手下(笑)が潜んでいて、オスカルめがけて落とすようにしたのかなあと考えています。


疑惑?の階段とシャンデリア
 

■トリアノンめぐり(その1)
お庭に出て、プチトラン(ミニ電車)に乗ってトリアノンへ。
この日泊まる予定のホテルで自転車を借りられるので、ホテルにチェックインした後で、お庭を自転車でじっくり回る計画を立て、まずはトリアノンの建物の内部を見学することにしました。
団体さんはトリアノンまでほとんど来ないので、さすがに空いています。
ここにきてわたしもようやくのんびりすることができたように思います。

お約束のプチ・トリアノンはともかく、今回はグラン・トリアノンにもちゃんと行きました。
ちゃんと、というのも、ここはナポレオンやルイ・フィリップも使っていた時代があり、わたしにとっては「新しすぎる」感があって、あまりときめかないところだったからです。
それと、グラン・トリアノンの内装は色調が強すぎるきらいがあるのと、イニシャルのNをあしらったナポレオンの紋章が、無粋であまり好きではありません。(ナポレオンファンの方、ゴメンナサイ)
でも外装の、ピンクの大理石はいつ見てもキレイだと思います。
今回もそれを楽しみにしてグラン・トリアノンへ向かいました。
ところが・・・!

外装「だけ」、改装中・・・


二つに分かれている棟をつなぐ回廊からお庭を見るのがここのウリのようなものなのに、思いっきりふさがれていました(涙)。
もとはルイ14世が造った離宮なのですが、もっとそのころの雰囲気も残っていればなぁと思います。欲をいえば18世紀中ごろ・・・。
そうこうしている間に夕方(といってもまだまだ明るいです)に近づいてきたので、ホテルにチェックインするべく、いよいよ憧れの「トリアノン・パレス」に向かうことにしました。



花壇がきれいだったグラン・トリアノン

■トリアノン・パレス潜入、じゃなくて宿泊記



トリアノン・パレスの入り口です~


ホテルは、門構えから言ってこれまた宿泊者と格が違いすぎです。
チェックインのときに、当然のように「車はどこに止めましたか?」と聞かれて、「お城から歩いてきました」というのは恥ずかしかった・・・かな。まぁ、あんまり気にしないですけど(^^;)
お部屋はやはり、豪華!でした。
内装で使われていたカーテンやベッドカバーは、18世紀に流行したいわゆる「中国風」ってやつでした。
・・・わたしゃ、シャンデリアの付いてる部屋に泊まるの初めてでしたわん。
ジャルジェ家をベルサイユ宮殿と間違えるロザリーと、ベクトルおんなじかもしれない・・・
と思うと、急にロザリーに親しみがわいちゃったりして。

シャンデリアに妙に憧れる、庶民なわたし・・・

とりあえず荷物を置いて、自転車を借りてベルサイユの町を探検するぞー! と思って自転車を借りに行くと・・・なんと、すべて貸し出し済みでした。
ベルばらじゃないけど、まさにガンガンガン・・・状態でしたねえ。

もう涙も枯れ果てたよ・・・

足も疲れ切っていたので、ホントは自転車がないなら出歩くのもつらかったのですが、夕飯も食べなきゃならないし、町の中心部まで行かねばなりません。
ホテルでもらった地図には、歴史的な建物のガイドが付いていたので、ゆっくり歩くついでにそういう建物も見ながら向かうことにしました。
革命が起こって国王がパリに行くまでは、ベルサイユが中心地のようなものですから、ポンパドゥール夫人の家とか、サン・ルイ教会とか、ベルサイユには結構、残っているのですよ。
ベルサイユというとみんな宮殿に行っちゃうけど(わたしもです)、意外と町にも観光スポットがあるものです。
もし時間の都合があればこういうところをじっくり見てもいいかもしれません。
そういえば、またランビネ美術館に行き損ねました。つくづく縁がないな~。

まぁそんな調子で、ジュ・ド・ポームも見に行きました。
有名な、「テニスコートの誓い」が行なわれたところです。
といってもここは5月から9月の土・日だけ開けるという、なんともやる気のないところなので閉まっています。とりあえず、外観を見るだけです。
ジュ・ド・ポームといえば、現在の共和国の源流、というのは言いすぎですが、まぁそのくらいフランス史では大きな出来事があった場所なのに、扱いがあまりにぞんざいだなぁ、と思いました。
あまり美しくない住居群が密集する中に建っているし、なんだか壁も美しくなく・・・。
内部は本でしか見たことがありませんが、外側よりはマトモだったように思います。今度こそ、開館しているときに来てやろう!とリベンジを誓いました。

このあとは、リヴ・ゴーシュの駅前に出て、サンドイッチとマカロニのサラダを購入して帰途につきました。
・・・んで、TVをボーっと見ていたんですが・・・。
突然、お貴族の屋敷チックなところで、剣の稽古を始める様子が流れ始めました。
フランス語がわからないので詳細が全く不明なんですが、この服装、この内装、どれをとってもベルばらオタク心をくすぐります。

し、しかも、男装している人がいるー!(もともとドレス姿で剣は使わないか^^;)


うおお、何じゃこりゃー!(狂喜乱舞)



わしも参加してぇ・・・

興奮のあまり、ついついカメラに収めてしまいました。
これに前後して、三銃士を舞台化するようで、そのお稽古シーンとたぶん演出家の人が話しているのも見ました。
これは撮り損ねたのですが、フランスでも17、8世紀が流行りだしたのでしょうか。
流行ってくれるといいなあ。

・・・あ、そういえば、宝塚の贈呈式、どうなったんだろ?

ついにベルサイユへ!(その2)

6月6日(水) くもり ついにベルサイユへ!(その2)

■怒涛のご開門
朝9時の開館にあわせて、まずは「ガイド付きツアー」を予約することにしました。
これは開始時間もまちまちだし、混んでいると参加できないこともあるので(あまり大きくない部屋を回るから・・・)、先に予約しておくに限る!と思ったからです。
とりあえず、連れが「ガイド付きツアー」初心者なので、判りやすそうな「王の居室とオペラ座コース」に決めました。デュ・バリーやルイ15世の娘たちの部屋(マニアックだ・・・)もいいなぁと思ったのですが、これはまた次の機会、ということで。

・・・ところが、9時を5分過ぎても10分過ぎても受付が開く様子はありません。
他の入り口に行っても、どこも閉まっています。
係員は全く見当たらないので警備員さんに状況を聞くことにしました。
お互いに英語がヘタッピ同士でしたが、「とりあえず庭でも見て、帰ってくる頃には開いてるんじゃない?」ということを言っているのは判りました。
「何時に開くの?」と聞いても明言してくれないあたりがなんとも、イヤーな予感がしましたが・・・曇っていて冷えるし、これから見学ツアーとかで足を酷使するから体力を温存しておきたかったし、結局受付前で腰掛けて待つことにしました。


どんよりどよどよ、な中庭

受付の前には既に先客が2名いました。
フランス人の老夫婦です。

吹きっさらしの中を、しかも朝一番に来て待っているとは・・・うぬう、主ら、只者ではないな!
とまあ、ライバル心というか友情というか、そんなものを感じましたね(^^;)
じーさんの方が、わたしが警備員さんに話を聞いているのを遠目で見ていたらしく、「どうだった?」と聞かれました。・・・多分フランス語で。

フランス語わかりません、というフランス語ってどんなだったっけ・・・
と乏しい記憶を探っていると、じーさんがまたもやなにか言っています。
ジェスチャーから推察すると、
「奴ら、中で寝てるんじゃないのか?」ということを言っているのだと思います。
こ、これがフレンチジョークというか、エスプリってやつなのか?(ピキーン)
とりあえずツボに入ってしまったので、笑ってしまいました。

そしてふたたび、老夫婦とわたしたちの4人は、ひたすら待つことにしました。
いくらなんでも10時には開くだろう、期待しながら。
でも、9時も30分、40分をすぎると、他のお客さんたちもイラついてきたようです。
別の入り口では、フランス語でお客と警備員がわあわあと言い合っています。
要人がおしのびで観光にきているのか、係員のストライキか、状況がよく判らないままに、10時近くになって受付のドアが開きました。とりあえずストライキではないようで、ほっとしました。

こうしてなんとかガイド付きツアーの予約の受付をしようとしたのですが、係員の機嫌が激悪なのには閉口しました。
朝から1時間近く待たされて、機嫌が悪いのはこっちだわい、と思いつつも予約を申し出ました。
すると・・・

係員「あんた英語わかんの?」

このひとことで、かなりカチンときましたね。
ま、たしかに「判る」といえるレベルでもないんだけどさ(泣)。

わし「はあ?」 ←何言ってんの?という語調で言ったつもり(^^;)

係員「あんた日本人でしょ。ここは英語とフランス語のガイドしかないから、日本語のテープガイドが付いてるコースか、、一般見学へ行きなさい」

ひょっとしたら親切で言ってくれてるのかもしれない。でも、でも・・・
この瞬間、ブチン!と切れましたよ、わたしゃ。
そのくらい、いくらわたしでも判るわよー!
この人、語学力を超えるオタク気を判ってないな。
(いや、判れと言う方がムリか・・・)

「いいのよ、それはわかってんのよ、でもわたしはコレに参加したいの!」

と言ってやったら、なぜか向こうも逆ギレしてました。
参加したいコースなんてまだなーんにも言ってないのに、勝手に「王の居室とオペラ座コース」に印をつけて紙をほうられましたからね(怒)。
これがたまたま参加したいコースだったから何も言わなかったけど、希望外のコースだったら、いったいどんな言葉を投げつけていたことやら、我ながら怖かったですね(^^;)
なんで延々待たされてこんな思いをせにゃならんのか・・・

ツアーの開始は10時過ぎ。中途半端な時間じゃなかっただけでも、よかったと思います。
(実はもっと中途半端な時間になるだろうと思っていました)
参加人数は10人ちょっとだったと思います。そのなかに件の老夫婦はおりませんでした。(フランス語のコースにいったんだと思う)
一部屋づつ、前後のドアの鍵を開け閉めしながらガイドツアーは続きます。

実は、わたしは係員に突っ込まれたとおり、英語力はめっちゃ低いのです。
なのでヒアリングで固有名詞を拾いながら推測(笑)した上で、ガイドブックで確認しながら進むという戦法に出ました。こうするとまあ、なんとなく判るものです。
そんなこんなでなんとかガイドツアーは終了!このあたりの詳しい話は、また別のページをおこした時に書きたいと思いまする。


ルイ15世が亡くなった場所。
王の寝室から少し離れた(となりのとなりくらい)ところにあります。


■王妃の村落
前日は、プチ・トリアノンの内部を見ただけでしたので、きょうはプチ・トリアノンの裏手に広がる広大な庭園を見にきました。
ここもやはり、木の繁りが寂しくなった気がします。
でも、トリアノンのお池には、カモだけでなく、カメもハクチョウもいて、相変わらず牧歌的な雰囲気でした(^^)


トリアノンのお池ざんす

王妃が寵臣たちと芝居に興じていたのは有名ですが、専用の劇場まで造らせてしまうとはさすがです。
まれにしか公開されないということなので、仕方なく外観だけ撮影してみました。プチ・トリアノンのすぐ裏手にあります。



草刈りの真っ最中で、煙たがられながら何とか撮影!

■お庭探検
99年末の暴風で、庭園の多くの樹木がなぎ倒されたということなのですが、最近の植樹の様子があまり伝わってこないので、ずうっと自分の目で確かめたいなぁと思っていました。

わたしは以前に木を一本植えられるだけの寄付をしたのですが、その木が植えられている場所を書いた地図が、出発間際になって贈られてきました。

なんと、植樹のレセプションの招待状と一緒に!
んで、よーく日付を見たら、「6月9日」でした・・・
ああ、あと4日後だというのに。。。うっううう、くやしーい!
という気持ちを何とか鎮めて、植樹された木を目指して庭を歩き回りました。

地図には、「ここのコーナーから何本目」と詳細に場所が書いてあったので、そのとおりに木を一本ずつカウントして、目星をつけました。・・・多分コレでしょう。多分・・・(-人-)

木の成長速度って詳しくないけど、少なくともわたしの子供や孫の代には、立派な成木になってくれていると思います。ひとりでちょっとジーンと来てしまいました(←バカ)。

 


早く大きくなってね

思ったより被害はひどくない感じでしたが、それでも、鬱蒼とした木々に覆われていたのが、突然ぽっかりと開いてしまっている箇所が目立ちました。
葉がこんもりと茂っている季節だから、余計目立ちました。
プチ・トリアノンに通じる道の木も、一斉に植樹がなされたようで、背の低い苗木が並んでいました。


植樹したての木(プチ・トリアノン)


植樹したての木(プチ・トリアノン)

ヴィーナスの繁み、すなわち「王妃の繁み」にも寄ってみました。
以前聞いた話だと中に入れなかったようですが、特に門も閉まっていなかったので、すんなり入ることができました。中は小公園のような雰囲気で、子供たちがにぎやかに遊んでいました。

お庭をさまよっていて思ったんですけど、お庭もとてもじゃないですが見きれませんね!
今回は庭園のハイドブックを買いましたので、まずはコレで予習と復習をして、狙いを定めて見たほうがよさそうです。
このガイドブック、もちろん日本語で、なんと持ち歩き用のマップや、庭園内の全彫刻の解説が載っているという、それはそれはマニアックなものでした。
(注:彫刻は、冬に行っても布で覆われて見ることができません)


やっと来れた「ヴィーナスの繁み」
 

そして、ベルサイユ観光のラストは、テープガイドつきのコース(王の居室コース)でシメることにしました。
すでにご紹介ずみの王妃の階段やら王の寝室、王太子夫妻の居室をまわります。

ルイ16世、ルイ18世、シャルル10世が生まれた部屋も見ることができました。
3人のフランス王がここで生まれていますが、そのいずれも、波乱万丈な人生を過ごしました。



ベッドや内装は彼らが生まれた当時のものではありません



牛眼の間にあったルイ16世の胸像。
ゴマスリ一切ナシの、いたって写実的(笑)な作品です。

■三部会会場跡
宮殿を後にして、駅に向かう前に、三部会の会場跡を見に行きました。
もとの建物は残っていませんが、(ベルばらでは)オスカルと衛兵隊員たちが警護をしていましたね。


子供らがサッカーしてました。格好の遊び場なんでしょうね。



門前に残っているプレート。

げほげほパリ紀行

6月7日(木) くもり げほげほパリ紀行

今日はいよいよ最終日。
飛行機は23時30分と、めちゃ遅い便なので、まる一日余裕をもって遊べます。
ところが・・・!

ベルサイユで風邪を引いてしまったらしく、前日あたりから、咳がぜんっぜん止まりませんでした。もう、眠れないくらいです。

まぁ、ベルサイユ土産と思えばうれしいかな・・・ ←バカ


アメでもなめておけば治まるかと思いきや、とーんでもないっ!
まるでオスカルさまのような咳に、頻繁に見舞われるようになってしまいました。

熱も喉の痛みも無いし、きょう1日過ごしたら、日本に帰っちゃう!と思うと、休んでなんかいられません。
したがって、薬屋さんにも病院にも行きませんでした。
(コレが旅程の最初の方だったら、事情は違ったかも)

いやぁ、旅行先でこんなに体調が悪いのは初めてでした・・・。まいったまいった。
そんなこんなで、はらはらする連れをよそに(すまんのう)パリ滞在最後の日をスタートさせたわけです。

まずは朝一番で、FNAC(パリの、大きな本屋さんです)に突入。
ずっと買おう買おうと思って買っていなかった、パリとその近郊の詳細地図を購入しました。
最終日に買うなよ~ってツッコミはなしよ。また来るんだから、いーじゃん!(断言)

そして、空港でお土産が買えなさそうなので、職場へのお土産を買いに走りました。
・・・スーパーマーケットへ。
あ、決して土産代をケチってるわけではありませんのよ。
美味しくて量もある、そのうえリーズナブルなサブレを買い込みましたわん。
(余談ですが、わたしは現地のスーパー、大好きです。買ってもしょーもない生肉や魚のコーナーを見ては、なぜか値段をチェックしてしまう悲しい性なんですが)

本とお菓子の山を抱えてホテルに帰還し、荷物を詰めてホテルをチェックアウト。20時にお迎えがくるまで、荷物を預けることにしました。
そしてふたたび、街へ出発!

■贖罪礼拝堂
コンテンツ内では既にご紹介済みですが(詳細はこちら)、久々に再訪しました。
ルイ16世とマリー・アントワネットをはじめ、ギロチンで処刑された人々の遺体が、ここ(当時はマドレーヌ広場といいました)に掘った穴に投げ込まれていたそうです。
サン・ドニにある彼らのお墓には、この場所に埋められていた、それと思しき骨を収めてあります。
シャルロット・コルデーの墓もここにあるということですが、確認できず・・・。

前に来た時と同じく、お客は全くいません。
ただでさえこういう場所が苦手なわたしは、咳がひどいこともあって、地下の礼拝堂もさささっと見て、外で休んでいました(^^;)。
名前はわかりませんが、白いお花がとてもきれいに咲いていましたよ。


贖罪礼拝堂。王政復古後、ルイ18世(プロヴァンス伯)によって設立。

■カルナヴァレ博物館

カルナヴァレ博物館にも足を運びました。
またもや、フランス革命コーナーで社会見学の集団に遭遇しました・・・。
ここでは、いつも社会科見学の子達と遭遇します。偶然と言うより、フランスの小学校(っていうの?)は、実物を見に博物館に来るケースが多いのでしょう。
わたしも社会科見学は大好きだったので、羨ましく思いました(^^)しかもカルナヴァレだもんね~。
でもここで、またもや咳が止まらなくなってしまって、最後は駆け足だったのですよ・・・(涙)
レカミエ夫人の肖像画前でしばし休息。・・・


バスティーユ牢獄の模型と、左手前にはロベスピエールの肖像画が。

 

■錠前博物館
空いている時間が短い上に開館日も飛び飛びの、これまたやる気がないと言うかマイペースな博物館です。一度来てみたいと思って、日時の照準を定めて(笑)まいりました。
ここもカルナヴァレ博物館スービーズ館と同じく、貴族の館を使用しています。
文字通り「錠前」が置かれているということ以外はほとんど内容を知らなかったので、期待と不安が半々でした。
ヒマそーなオヤジに30フラン渡して、中に入ります。

展示室は、地下室にありました。
いかにも「貴族の館の内装」ではなく、地下室なのでキッチンかワイン蔵のようなところです。
部屋は小さいのが3,4部屋。非常にこじんまりした博物館です。

また、工房の様子なんかも再現されていました。
展示物の横には簡単な説明のみ(もちろんフランス語オンリー)ついているので、錠前が作られた時代と、どこにあったものかだけは辛うじて判ります。

展示品は、ベルサイユ、プチ・トリアノン、そして今は無きチュイルリー宮殿の鍵と錠前などが多く展示されていました。
ルイ16世お手製の鍵はちょっと見当たらなかったです・・・(笑)

趣味の錠前作りをバカにされていたルイ16世ですが、錠前というのは、相当テクニカルなものです。
それは、この博物館で錠前の歴史を見てよくわかりました。
国王としての統率力や判断力はともかく、語学に長け、自然科学への造詣も深かったルイ16世。タンプル塔でも自ら息子に教育をしてしまうあたりが泣かせます(もっとも、他にやることもなかったのか^^;)。その辺も、注目してあげたいなぁと思います。


錠前博物館の門構え、さすが立派!

■いわゆる市内観光
時間が半端に余ってしまったので、「カー・ルージュ」という観光バスに乗りました。
「カー・ルージュ(車体が真赤なのに因みます)」は昼間だけ、いわゆるパリの名所をぐるぐる周っている2階建てバスです。
わたしが参加したツアーに、おまけでこの観光バスのフリーパスがついていたので、乗ってみ
ることにしたわけです。
はじめてフツーの観光客っぽい行動に出ましたね、わたしたち・・・
ちょっと寒かったのですが頑張って2階(もちろん吹きっさらし)に乗り込み、写真を取りまくりました。その光景は、まさしく「おのぼりさん」そのもの。
まぁ、ホントにおのぼりさんなんですけれども・・・。

ルーブル美術館の近くでバスに乗って、ノートルダム、オルセー美術館、トロカデロ、コンコルド広場、マドレーヌ寺院、オペラ座、そしてシャンゼリゼ・・・と、人に説明して理解してもらえる観光をしました(笑)


オペラ座です~

■そして日本へ
そんなこんなで20時になってしまい、送迎車に乗り込みました。
ツアーではよくあるのですが、他のホテルのお客さんを拾いながら空港へ向かいますので、図らずもふたたびパリ・ドライブを楽しむことができました。
ムーラン・ルージュとか、多分初めて実物を見ましたよ・・・

パリの風景を一生懸命目に焼き付けながら、昔むかし、宝塚を観に行った時に聞いたシャンソンを思い出しました。

パリはやくざでカタギにゃ向かない
だけどもオタクにゃいちばん メ・セ・シ・ボン♪

↑勝手にアレンジしてしまっております(汗)ムードまるでなしだわ。
どんな種類のオタクであれ(笑)、やっぱりこだわりをもって旅行すると楽しいぞ、と今回もつくづく思いました。

どうでもいいことなんですが、今回、わたしは、ほっとんど買い物をしませんでした。
欲しいものがあれば買うし、実際買ったのですが、本ばかり。
洋服とかも欲しければ買おうと思ったのですが、どうも食指が伸びずじまいでした。
以下、成田空港税関でのやり取りです。

係員 「タバコやお酒などは買っていませんか」
わし 「買ってません」(下戸だしタバコはやめた)

係員 「ブランド物なども買っていませんか」
わし 「買ってません」(と言うより買えん)

係員 「ホントに買ってませんか?」
わし 「・・・買ってません」

・・・パリから帰ってくるのに荷物が少ないと、却って怪しまれるのか?
おカネにならない素敵な&貴重な体験は、いっぱいしたんだけどねえ。

■蛇「足」
今回の旅行は「徒歩」が基本でした。ひょっとしたら、今までの旅行でいちばん歩いたかもしんない・・・。
万歩計をつけたら、さぞかし素晴らしいスコアが出たことと思います。とーにーかーく、疲れました!

移動手段としてヘタに地下鉄を使うと、階段のアップダウンで帰って疲れる気がします。
地下鉄の乗り換えも、階段を昇降して、延々歩くケースがあります。
こういう時はバスを使うのもいいかなあと思いましたが、いつ見ても道路がメチャ混みなのと、今ひとつバスを乗りこなせなくってー(^^;)
ローラーブレードで軽やかに走り抜けていくツーリストなんかもいて、憧れましたわ~。
あとはレンタサイクルを使ってもよかったかも。でも、道幅ぎりぎりに路上駐車した車と、車線もお構いなしに車が走るパリの道路を自転車で巡るなんて・・・至難の技かもしれない。

というわけで、毎日毎日、「アンメルツ」を足に塗って、足の裏には「トクホン」「休足時間」を貼ってやりすごしてました。
連れと二人して貼りまくってたから、メトロなんかでは、臭ったかもしんない(笑)

ああ、次にパリに来る時も、わたしはアンメルツくさい女なのだろうか・・・(意味不明)

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