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オルフェウスの窓ゆかりの地・レーゲンスブルグ Regensburg

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※下記は私が訪れた際の出来事ですので、内容等変更されている可能性が高いです※


■「オル窓」をたずねて百里弱・・・■
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レーゲンスブルグ。日本人はほとんど知らない街だと思う。

・・・というわけでも、最近ないみたい。

池田理代子氏の名作「オルフェウスの窓」、通称「オル窓」の舞台・・・ということで、私のようなオタクにとっては、ここレーゲンスブルグはパリ、ヴェルサイユに次ぐ聖地・・・・・は言い過ぎか。
とりあえず、ウイーンからなら日帰り可能ということで足を伸ばしてみた。ウイーン西駅から、特急プリンツ・オイゲン号(トルコ軍からウイーンを守った英雄の名)に乗ること4時間ちょっと。料金は往復プラス学生割引きで1万円弱。安いなあ。

私はたまたまウイーンからだったので(しかも日帰り)片道4時間もかけてしまったけれど、ミュンヘンとかニュルンベルグ、フランクフルトからならもうちょっとマシでしょう。この町は「ドナウ川に架る石橋と聖ペテルスのドーム」をメインとした、ドイツ最古の司教都市です。(絵葉書はほとんどこれと似たり寄ったり。つまらんのう)街の中心は中世の面影を残しており、「オル窓」の時代そのまんまの気分。

これに反して駅前から中心地にかけては、ちょっとしたショッピング街。マックまでありました。(私はここでマックのお兄さんに、日本語で「ありがとう」を何ていうか聞かれた。なんで?)余談ですが、ヨーロッパの多くの(古い)街は教会を中心にできており、あくまで「後から出来た」駅は町外れにあります。駅を中心に街をつくる日本とはまったく違うみたいです。うーん、キリスト教圏。

と、ところで気になったのは、けっこうここには日本人観光客が多かったこと!!しかも女の子2人連れとか・・・「も、もしやあなたは・・・」という言葉が喉まで出かかった。うーん、ひっこみじあんなワ・タ・シ☆)

実は私、「地上の」国境を超えるのが初めてだったんです・・・。日本に居ると特別のことのようだけど、ヨーロッパではそーいう感覚は薄いんじゃないでしょうか。たぶん。

列車がドイツとオーストリアの国境駅に差し掛かると、係員がパスポートチェックをたんたんと(ひょっとしたら切符の検札より簡単に)行っていく。どっからみても東洋系の怪しい小娘(私だ)のパスポートなど、ロクに見てくれなかった。ちょっとだけ悲しい
・・・・・もっと私のパスポートを見てー!!

レーゲンスブルグの(えりりん的)見どころ

<ヴァルハラ>
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「オルフェウスの窓」では、クラウスがユリウスを連れてレーゲンスブルグ市街からここまで走っていましたが、まず不可能???に等しいと思う。なぜなら、ヴァルハラまではバスで30分弱かかるから。確かに・・・「すまないユリウス」ですまされない距離でしたね。

ドナウ川のほとりに突然そびえる白亜の神殿は、まさに「レーゲンスブルグ版パルテノン神殿」。山の上に建っているので、坂プラス階段をひたすら上ります。高所恐怖症にはちとつらいかも・・・。内部は、ドイツ内外?の偉人の胸像が奉られていました。エカテリーナ2世のものもありました。この人、ロシアの女帝だけど、もとはドイツの人だったよね??

疑問。ここの係員は食事とか、トイレとかに行くのにいちいち下山しているんだろうか??山頂にはトイレとかなかったような気が・・・いやいや、その前に、毎日ここに仕事しに登ってるのかと思うと、すんげえ!!

<ヴァルハラへ>

レーゲンスブルグ駅前のバス停からDONAUSTADT (ドナウシュタット)下車 か、ドナウ川まで行き、そこから「遊覧船」に乗る。ちなみに遊覧船は冬期休業で、私はバスで行きました。もともと本数は多くありません。
日曜に至っては、1時間1本。←日曜に行ってしまったわたし(涙)
店もほっとんど閉まってます。これから行く方、日曜はやめといたほうがいいっす。

ヴァルハラ行きのバスに乗った友人とわたしでしたが、ドイツ語が全く出来ない(威張ってどーする)ので、ヴァルハラで降り過ごすまいと緊張しまくりでした。
そうしたらバスの運転手さんが、「ヴァルハラに近い停留所が来たら教えてあげるよ」 というようなことをおそらく言ってくれて、実際にそうしてくれたのでとても助かりました。
わたしのオタクな旅って、こういう親切な方々に支えられて成り立っているようなものです。まったくもって、ダンケ・シェーンなのでございます。

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ここをひたすら登るのだ!

内部の様子はこんなんです。何ていうか・・・えらい人(哲学者とか、なぜかエカテリーナ2世までいた。)の胸像がずらーっと並んでいる。悪く言うとホーンテッドマンションの一室に似ている。あの、胸像の目が追っかけてくる部屋。

残念ながら、秘密の部屋はわかりませんでした(笑)

<聖ペテルスのドーム>

鐘は現在、修復中です。直ったら、のせたいなあ。

<トゥルン・ウント・タクシス城>

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「オルフェウスの窓」のモデルにもなったらしいお城。開館時間に間に合わず見学できなかったので、風景だけ写真に収めてきました。ウワサの「窓」はどれでしょうか?

 


最寄駅■Regensburg
HP■http://www.regensburg.de/

ここに行くツアーはまずない・・・と言いたかったが、過去に某旅行社で企画されたことがあります。
個人で行く場合には、近くの大都市であるミュンヘンとかから行くと近そうです。私は掟破りのウィーンから行きましたが遠かったのであんまりお勧めしません。
(でも、このルートはイザークも通ったにちがいなくってよ!!)


より大きな地図で ベルばらオタクのための旅行案内 を表示

マダム・タッソーろう人形館 Madame Tussaud's

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■フランス革命と蝋人形■
国王や貴族、反革命主義者の処刑は公開で行われました。
革命の成果を宣伝する方法の一つとして用いられたのが、蝋人形でした。
画家ダヴィッドがフランス革命をイメージを盛り込んだ劇的な絵画で表現したのに対して、革命の一側面をあくまでも本物に忠実に、立体的に表現したのがマリー・グロシュルツ、のちのタッソー夫人と言えるでしょう。

18世紀のフランス女性、マリー・グロショルツ(Marie Grosholz 1761-1850)は一風変わった特技を持っていました。
--- 蝋人形作り。
マリーの母は、解剖図の模型作りを得意とする医師Curtius(読み方判りませんT_T)の元で家政婦の仕事を得ており、マリーはこの医師から蝋細工の手ほどきを受けたといいます。

マリーは革命前から、当時の有名人の蝋人形(ヴォルテールやベンジャミン・フランクリンなど)を制作し、既に名声を得ていました。
その才能を見込まれ、ルイ16世の妹・エリザベート内親王の美術講師をしたり、ルイ16世一家の蝋人形制作を手がけるなどして宮廷に出仕することになりました。

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革命勃発後、パリに連れ戻されたマリーは、処刑された重要人物のデスマスクを作る仕事に従事させられました。
その仕事の中には、かつて使えた国王、ルイ16世やマリー・アントワネットのそれも含まれていました。
そんなマリーも恐怖政治の中投獄され、処刑の為に髪を刈られる(ギロチンの刃をより落ちやすくする為に、髪の毛を切るんですね。ベルばらでもそんなシーンがありましたね)ところまで行ったものの、幸運にも処刑を免れる事が出来ました。

さて、出獄したとはいえ、革命の混乱期の中で食べていくのも一苦労。そこでマリーは、自らの作品の展示会を開催することにしました。--- 隣国のイギリスで。
イギリスでの評価は非常に高く、のべ33年間も展示が全国を巡ったという。
その間にもマリーは、国王ジョージ4世やナポレオンの蝋人形も制作するなど活躍を続け、ついに1835年、ロンドンに蝋人形館の常設館を設立しました。
それが現在の蝋人形館の元になっているのです。
彼女の死後も、息子や孫が後を継ぎ、現在も蝋人形のコレクションは訪問のたびに増え続けています。

世界の有名人の蝋人形が展示されている蝋人形館ですので、映画スターから政治家まで有名人だらけです。しかも館内での写真は自由。皆がお目当ての有名人と写真撮影をして、ごった返しています。
有名人といってもあくまでもヨーロッパ中心ですんで、イギリスのクリケット選手やベネルクスの王様たちなど、かなりローカルネタ入ってます。

朝一番に行っても行列しているほどなので、覚悟しておいた方がいいでしょう。
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まるで寝ているようにお腹の部分が上下してました。


本場のロンドンだけでなく、今や世界中にマダム・タッソー蝋人形館があります。
東京にもできましたねー。
私は以前香港のマダム・タッソーに行ったことがあります。本家より規模はかなり小さかった…

住所■Marylebone Road, London NW1 5LR
公式HP■http://www.madametussauds.com
ロンドンのベイカー街にあります。駅もBaker Street。ホームズ氏の家に近いです。

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