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マダム・タッソーろう人形館 Madame Tussaud's

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■フランス革命と蝋人形■
国王や貴族、反革命主義者の処刑は公開で行われました。
革命の成果を宣伝する方法の一つとして用いられたのが、蝋人形でした。
画家ダヴィッドがフランス革命をイメージを盛り込んだ劇的な絵画で表現したのに対して、革命の一側面をあくまでも本物に忠実に、立体的に表現したのがマリー・グロシュルツ、のちのタッソー夫人と言えるでしょう。

18世紀のフランス女性、マリー・グロショルツ(Marie Grosholz 1761-1850)は一風変わった特技を持っていました。
--- 蝋人形作り。
マリーの母は、解剖図の模型作りを得意とする医師Curtius(読み方判りませんT_T)の元で家政婦の仕事を得ており、マリーはこの医師から蝋細工の手ほどきを受けたといいます。

マリーは革命前から、当時の有名人の蝋人形(ヴォルテールやベンジャミン・フランクリンなど)を制作し、既に名声を得ていました。
その才能を見込まれ、ルイ16世の妹・エリザベート内親王の美術講師をしたり、ルイ16世一家の蝋人形制作を手がけるなどして宮廷に出仕することになりました。

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革命勃発後、パリに連れ戻されたマリーは、処刑された重要人物のデスマスクを作る仕事に従事させられました。
その仕事の中には、かつて使えた国王、ルイ16世やマリー・アントワネットのそれも含まれていました。
そんなマリーも恐怖政治の中投獄され、処刑の為に髪を刈られる(ギロチンの刃をより落ちやすくする為に、髪の毛を切るんですね。ベルばらでもそんなシーンがありましたね)ところまで行ったものの、幸運にも処刑を免れる事が出来ました。

さて、出獄したとはいえ、革命の混乱期の中で食べていくのも一苦労。そこでマリーは、自らの作品の展示会を開催することにしました。--- 隣国のイギリスで。
イギリスでの評価は非常に高く、のべ33年間も展示が全国を巡ったという。
その間にもマリーは、国王ジョージ4世やナポレオンの蝋人形も制作するなど活躍を続け、ついに1835年、ロンドンに蝋人形館の常設館を設立しました。
それが現在の蝋人形館の元になっているのです。
彼女の死後も、息子や孫が後を継ぎ、現在も蝋人形のコレクションは訪問のたびに増え続けています。

世界の有名人の蝋人形が展示されている蝋人形館ですので、映画スターから政治家まで有名人だらけです。しかも館内での写真は自由。皆がお目当ての有名人と写真撮影をして、ごった返しています。
有名人といってもあくまでもヨーロッパ中心ですんで、イギリスのクリケット選手やベネルクスの王様たちなど、かなりローカルネタ入ってます。

朝一番に行っても行列しているほどなので、覚悟しておいた方がいいでしょう。
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まるで寝ているようにお腹の部分が上下してました。


本場のロンドンだけでなく、今や世界中にマダム・タッソー蝋人形館があります。
東京にもできましたねー。
私は以前香港のマダム・タッソーに行ったことがあります。本家より規模はかなり小さかった…

住所■Marylebone Road, London NW1 5LR
公式HP■http://www.madametussauds.com
ロンドンのベイカー街にあります。駅もBaker Street。ホームズ氏の家に近いです。

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