オデオン座界隈 Odéon
- 2017/05/01 21:15
- フランス革命追体験ツアー
地下鉄オデオン駅界隈は、フランス革命で活躍した人物ゆかりの場所が多く残っています。とはいっても「ベルばら」本編とはそんなにゆかりがないので、フランス革命史に興味がある方向けかもしれません。
「文句があるならベルサイユにいらっしゃい!」略してもんべる。ベルサイユのばらとフランス革命にちなんだ旅行案内がメインです。
地下鉄オデオン駅界隈は、フランス革命で活躍した人物ゆかりの場所が多く残っています。とはいっても「ベルばら」本編とはそんなにゆかりがないので、フランス革命史に興味がある方向けかもしれません。
ロベスピエールが1791年7月17日から失脚する1794年7月28日まで住んでいた家です。この家は元来指物師デュプレの家で、彼はこの二階に下宿していました。
壁には、ロベスピエールが住んでいたことを記したプレートが掲げられています。
<ヴァレンヌ事件>の際、チュイルリー宮殿から脱出した王家の一行は、フェルゼン伯爵が御者をつとめる辻馬車に一旦乗り込み、パリ郊外に待機してあるベルリン馬車に乗り換えるために一路パリ郊外を目指します。その際に辻馬車が通り抜けたのが、このサン・マルタン門です。
「おまえ・・・ナポレオン・ボナパルト 若いのにたいした度胸だぜ 俺と同じ作戦をすでに実行に移していたとは!パリのど真ん中で大砲をぶっ放すか・・・はっはっは・・・」―アラン 「エロイカ」より
1795年10月5日の<ヴァンデミエール事件>の舞台。
「エロイカ」では、この事件がきっかけでアランとナポレオンが出会いました。この時、アランも飛び入りで砲撃に参加しています。
革命前夜の1789年7月12日、パレ・ロワイヤルから出発した群衆とドイツ近衛騎兵がここで衝突。民衆はパリ市庁舎へ赴き、武器と警鐘の乱打を要求しました。
「・・・そして健康なそだちざかりの少年は 母をわすれ 国王であった父をわすれ 自分の名前を フランス王太子の身分をわすれ・・・兵士たちにまじって革命歌を歌うようになった・・・」―コミックス九巻
マリー・アントワネットらと引き離されたのち幽閉され、1795年にタンプル塔内で死亡したとされるルイ17世のお墓があります。お墓は教会中庭にあるので、中で許可をとりましょう。
ここには創建以後、歴代の王家の子女の心臓が安置されていました。最後に収められたのは1789年6月に亡くなった王太子ルイ・ジョゼフのものでした。
<ヴァレンヌ事件>の際に、フェルゼンが「あぶり出し用インク」をここで購入し、連絡に使用したといわれています。
パリの町は、穴ぼこだらけです。 (それは東京もおんなじか)なぜならパリは、地下から石を採掘して建物を造って出来た街だからなのです。
その穴ぼこは、「ノートルダムのせむし男」などでも知られるように浮浪者が住み着いたりしていましたが、下水道や地下墓地(カタコンベ)に使われるようになりました。
中世までのパリは、道の真中に掘られた溝を下水が流れてセーヌに垂れ流し状態だったので、その悪臭はすさまじいものがあったそうです。
とにもかくにも、下水道の整備によってパリ市民が悪臭から解放されたのは、じつに19世紀に入ってからのことです。