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サント・マルグリート教会 Eglise Sainte Marguerite

「・・・そして健康なそだちざかりの少年は 母をわすれ 国王であった父をわすれ 自分の名前を フランス王太子の身分をわすれ・・・兵士たちにまじって革命歌を歌うようになった・・・」―コミックス九巻

マリー・アントワネットらと引き離されたのち幽閉され、1795年にタンプル塔内で死亡したとされるルイ17世のお墓があります。お墓は教会中庭にあるので、中で許可をとりましょう。

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死亡したのか本当にルイ17世かどうか議論が長い間繰り返されてきましたが、2000年にひとつの結論が導き出されました。
タンプル塔で病死した少年の心臓は死後解剖した医師により保存されていましたが、この心臓とマリー・アントワネットの遺髪、そして現在オーストリアにいるマリー・アントワネットの子孫との間でDNA鑑定が行われ、見事にDNAが一致しました。この結果を踏まえて、心臓は2004年6月8日にパリ郊外のサン・ドニ教会に埋葬されました。こちらの墓所は今後どうなるのでしょうか・・・?

■「ルイ・シャルルの最期
1793年7月に母親、叔母、姉と引き離されたルイ・シャルルは靴屋のシモン夫妻に預けられてタンプル塔の敷地内で暮らし、ここで心身ともにひどい虐待を受けました。
そんな中で周囲の言われるままにしたある証言が、母親、叔母、姉らを苦しめることになりますが、少年が置かれた過酷な環境を考えると一方的に彼を責める気にはなれません。

マリー・アントワネットは遺書の中でこのようにエリザベート内親王に語っています。
「あの子がどんなにあなたに苦労をかけたのか、判っております。でもどうか赦してやってくださいませ。まだ幼い子供です。それに、大人は子供に望み通りの事、自分が判っていない事さえ容易く言わせることが出来るのをお考えください。・・・」

やがてルイ・シャルルは塔内の一室に幽閉されるようになり、最低限の世話すらろくにされず、体が徐々に弱っていきます。1795年6月8日、わずか10歳で亡くなりました。死後の解剖の結果、死因は結核とされましたが、心身ともに受けた虐待によって死期が早まったように思えます。

 


住所■36, Rue St-Bernard 75011
最寄駅■Ledru Rollin


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