パレ・ロワイヤル Palais Royal
- 2017/05/01 17:27
- ベルばらオタクツアー
「文句があるならベルサイユにいらっしゃい!」略してもんべる。ベルサイユのばらとフランス革命にちなんだ旅行案内がメインです。
「ま・・・あ!この人は・・・なんてやさしい声でうたうのだろう!
まるでラファエルの絵のようなつつましいやさしさにあふれた姿をして・・・」―マリー・アントワネット
ポリニャック伯夫人のパリの邸宅。
「ジェローデル大尉 マティニョン通りのフォン・フェルゼン伯の邸まで行ってかわりの馬車を出してくださるよう申し上げてくれ」―オスカル
フェルゼンは、1789年から<ヴァレンヌ事件>のあった1791年6月までここに住んでいました。
「バスティーユへ!!」―オスカル
1789年7月14日に起こったパリ市民によるバスティーユ牢獄の襲撃は、フランス革命の序章のクライマックスと言えるでしょう。 「ベルばら」でも、オスカルがこの戦闘に参加し戦死したことになっています。
「わたしの血が 祖国フランスの幸福の礎とならんことを !!」―ルイ16世
「さあ!見るがいい マリア・テレジアの娘の死にかたを」 ―マリー・アントワネット
ルイ16世、マリー・アントワネットなど「ベルばら」作中の人物および多くの人々がこの場所で処刑されました・・・。
「まえのオーストリア駐在大使だったが・・・あんまり女あそびがはでだったので アントワネットさまの母君マリア・テレジアどのにきらわれて・・・大使をクビになってフランスにかえってきたばかりの男だ」―オスカル
<首飾り事件>で有名なローアン大司教の邸宅です。
「フランス衛兵隊(ガルド・フランセーズ)―王宮守備のため 1563年に創設され 宮殿内の治安維持を担当した パリのショセ・ダンタンに 留守部隊の兵舎があった」―コミックス五巻
「シェーンブルン宮殿の奥ふかく 大オーストリア皇女として……
マリー・アントワネットはこの上もなく美しく 気高く優美に そしておおらかに そだってゆく……」―コミックス一巻
18世紀当時、この宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮として使われており、マリー・アントワネットもここで幼少期を過ごしました。
「国王一家がうつされることになったチュイルリー宮殿は ルイ14世いらい150年のあいだ 王室にみすてられ 使われずにいたあれほうだいの宮殿であった」―コミックス八巻
「ベルばら」では、アンドレはここでの戦闘で戦死しています。