>ベルばらオタクツアー> バスティーユ牢獄跡 Bastille

エントリー

バスティーユ牢獄跡 Bastille

「バスティーユへ!!」―オスカル
1789年7月14日に起こったパリ市民によるバスティーユ牢獄の襲撃は、フランス革命の序章のクライマックスと言えるでしょう。 「ベルばら」でも、オスカルがこの戦闘に参加し戦死したことになっています。 

bas_statue.jpg



ベルばらオタク的には聖地と言っていいでしょう!が、現在はとても賑やかな場所になっており、しんみりするのは難しいかも・・・ 

バスティーユ牢獄があった場所は、当時はパリの町はずれにあり、パリの防衛を目的として設けられた要塞でした。
しかし時を経ると、その役割は要塞から牢獄へと変化していきました。主に政治犯などを収容しており、サド侯爵やデュマの小説のモデルにもなった「鉄仮面」も、この牢獄に幽閉されていたといいます。 
1789年当時、実は囚人は7人しか投獄されていなかったそうです。 

現在、この場所はバスティーユ広場と呼ばれています。牢獄の跡こそ残っていませんが、銅っぽい石畳の色で牢獄の跡を示しており、広場に面した建物には1789年の事件を記すプレートが残っています。
bas_plate.jpg

bas_line.jpg
牢獄が建てられていた部分が色違いの敷石で表示されています。
 
ちなみに、広場の円柱は1789年の革命ではなく1830年の7月革命(シャルル10世の反動政治に対する市民蜂起)を記念して建造されたものです。 

また、メトロ「バスティーユ駅」(1番線)の構内には、バスティーユ攻撃を描いた壁画がありますので、ぜひ一度ご覧あれ。番線は失念してしまいましたが、地下のプラットホームにはバスティーユ牢獄の石が飾られていますのでこちらもぜひチェックしましょう!
bast-eki2.jpg
↑↓どちらも駅構内。

bast-stone.jpg


最寄駅■Bastille
 
より大きな地図で ベルばらオタクのための旅行案内 を表示

ページ移動