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ヴィジェ=ルブラン邸跡 Maison de Vigée-Lebrun

「ほんとうにこまってしまいます・・・ 王妃さまのお肌が あまりにも美しくすきとおっていて どんな絵の具をつかっても その色がでないのでございますもの」―ヴィジェ=ルブラン夫人

マリー・アントワネットの肖像画を描いたことで知られる画家エリザベート・ヴィジェ=ルブランの館跡です。アントワネットと同年生まれの彼女は、1778年から1789年までここに住んでいました。

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本名はマリー・ルイーズ・エリザベート・ヴィジェ=ルブラン。パリで生まれ、早くから画才を発揮しました。15歳で既に肖像画家としてかなりの収入を得る身であり、23歳で宮廷画家となります。マリー・アントワネットの有名な肖像画はその時に描かれたものです。
 

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建物に設置されたプレートです。大きな扉の上の方にあるので頑張って見上げなければなりません。

28歳のときには王立アカデミーにも入会を許されます。画家としての名声も高まる一方でしたが、1789年の革命勃発を期に、流浪の亡命生活が始まります。イタリア、ウィーン、プラハおよびドレスデン・・・亡命生活は彼女の画家としての名声がそれを助けましたが、彼女がフランスに帰ることができたのは1802年、実に10余年もの歳月がすぎていました。(このとき、255名にものぼる芸術家たちの嘆願があったそうです)
彼女は帰国後も絵筆を持ちつづけ、87歳で大往生を遂げます。
フランス革命も、ナポレオン時代も、王政復古の時代をも生き抜きました。
1830年代にはその波瀾の生涯を綴った回想録を出版しています。ぜひ読んでみたいものですね。

 

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このあたりはアラブ辺りの絨毯屋さんが多く見られました。

おまけコラム「最後の忠誠」
1793年1月21日の朝、この場所、かつてのシャルル5世城壁の上で、ある企てが実行されようとしていました。 それはルイ16世の奪還計画。今まさに刑場に赴こうとするルイ16世を救出しようという、あまりに勇敢で、そして無謀な計画は、バーツ男爵によって計画されました。

バーツ男爵は、同志ラ・ギッシュ侯爵、ポン侯爵、マルサン伯爵、そしてサン・モーリス公爵とともにクレ通りに隠れ住み、王奪還後は一時この隠れ家に王を避難させ、その後国外に出国する計画を立てていました。救出作戦に賛同する同志は5~600人と言われましたが、事前に事露見し、計画は実行せずして失敗に終わりました。

ところがバーツ男爵は、王を乗せた馬車が目の前を通過するや、こう叫びながら果敢に馬車に向かっていきました。
「同志よ集え!王を救い奉らんとする者は来たれ!」
しかし、この声に応じたのは僅か三人の貴族。その三人もその場で警護衛兵によって射殺され、バーツ男爵は間一髪でその場から去ることに成功しました。
この時王は、エジュヴォルト・ド・フィルモン神父(王の臨終に立ち会う)から借りた聖務日課書「死に行く者の祈り」を読み耽り、忠臣たちの最後の忠誠に気がつかなかった、といわれています。
住所■Rue de Beauregardと Rue de Degrés の角にプレートあり
最寄駅■Strasbourg St. Denis

 


住所■19,Rue de Crely 75002
最寄駅■Strasbourg St. Denis


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