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三部会ゆかりの場所めぐり

「壮大なドラマがはじまる・・・175年ぶりにフランスのすべての身分の代表があつまる 三部会がついにひらかれる・・・!」―オスカル

1789年5月4日(三部会開催前日)、三部会議員と国王夫妻を筆頭とする宮廷貴族らは、ベルサイユの街にあるノートル・ダム寺院でミサを挙げた後、宮殿前に広がるダルム広場を横切ってサン・ルイ教会へと行進しました。警護には、原作と同じくフランス衛兵隊があたりました。

 

ノートル・ダム寺院 Eglise Notre-Dame

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1684年に建立。王族の洗礼、結婚、死亡の登録はこちらで行われました。 ちなみに「ノートル・ダム」は「聖母マリア」を意味する名前なので、あちこちに同名の寺院があります。

住所■35, Rue de la Paroisse

 

ダルム(連兵)広場 Place d’armée

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「あの窓にルイ・ジョゼフ殿下がおみえだ  けさムードンからベルサイユへうつられた このかがやかしい歴史の日を 瀕死の目でしかと見つめておられるはずだ・・・」―オスカル

かつてこの広場で王の軍隊の連兵が行われたことに由来します。
原作ではオスカルが宮殿を見やり、中で行進を見守っているであろうルイ・ジョゼフを思い「わたしは王妃になりそこなったぞ」という名(迷?)文句を口にする場面がありますが、宮殿の窓が見える場所、と考えるとダルム広場あたりなのかしら?と勝手に判定しています。

 

サン・ルイ教会 Cathédrale Saint-Louis

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1743年から1754年にかけて建立。3131本のパイプを持つオルガンが有名とのことですが、演奏を聞く機会があるのかは判りません。

住所■Place Saint-Louis

 

ムニュ・プレジール館跡 Hôtel des Menus Plaisirs

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「貴族議員からさえ かっさいひとつ 拍手ひとつ マリー・アントワネットのためにはあがらなかった」―コミックス六巻

ここに三部会の議場がありましたが、残念ながら当時の建物は現存していません。 このあたりを、オスカルたち衛兵隊員も警備していたのでしょうか。 写真はパリ大通りの裏を走る「Rue des Etat Generaux」(三部会通り)側から撮影したものです。 壁にかかっていたプレートには「1789年5月5日に三部会が開催、次いで1789年6月17日に『国民議会』の宣言が行われた」との旨が記されています。

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オスカルがサン・ジュストを目撃したのも、議場を断腸の思いで閉鎖させたのも、アランに無理チューされたのもこの周辺かと思われます。
雨が降っていればなおさら妄想モードに拍車がかかるかも・・・。

住所■22, Av. de Paris

 


ベルサイユ宮殿周辺の地図

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