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贖罪礼拝堂 Chapelle Expiatoire

コンコルド広場などで処刑された人々の共同墓地跡。ルイ16世とマリー・アントワネットも後年改装されるまで此処に埋葬されていました。

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1793年にルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されると、その遺体は当時マドレーヌ墓地と呼ばれていたこの場所に、他の遺体と一緒に無造作に投げ込まれました。

マリー・アントワネットの遺体は、10月16日に革命広場(現・コンコルド広場)で処刑されたあと、頸を両足に挟まれた姿でマドレーヌ墓地に運ばれました。しかしそこには棺も墓穴も用意されていませんでした。処刑は午後0時15分。刑吏たちは早く食事を採りたかったのか、遺体をそのまま墓地の草むらの上に放り出して去っていきました。
そして11月1日、墓堀人夫がようやく請求書を提出します。死後約2週間を経て、ようやく元フランス王妃は埋葬されたのでした。

その後、ある王党派がこの土地を買い取って守っていましたが、ナポレオンの時代を経た1821年、まさにルイ16世が処刑された1月21日に、フランスの王位に就いたルイ18世(「ベルばら」ではプロヴァンス伯として登場)によってふたりの遺体は埋葬時の証言を元に掘り起こされ、王家の霊廟であるサン・ドニ教会に再埋葬されました。

そのときここに建立されたのが、「ルイ16世広場」(Square Louis XVI)の中にある贖罪礼拝堂です。中に入ると地下に続く階段があり、そこを降りると祭壇があります。生花がきちんと備えられている所を見ると、まったく見捨てられている訳でもなさそうです。

かなり昔の話になりますが、この広場の一角にレストラン「Le Louis 16」がありました。店のナフキンには、ルイ16世の横顔を型どりしたいわゆる「ルビンの盃」がデザインされています。
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オタクレポート~1993年1月21日の、ルイ16世処刑200年記念セレモニーより~
ルイ16世のセレモニーは、当日はベルサイユでのレクイエムの演奏会とかサンドニ大聖堂でのミサなども行われたようで私は当初サンドニに行くつもりでした。
その10日ほど前からパリにいて街のキオスクなどで「ルイ16世は処刑されなければならなかったのか?」という特集記事を載せた雑誌がいくつも発売されていて(私も2冊ほど購入)どうもフランス人のなかでは「あれはちょっとまずかった」と思っている人が多いらしいことが肌で感じられました。テレビでも討論などやっていました。
サン・ジュストにも参加してほしかった!
メトロの中に貼ってあったポスターでコンコルド広場のセレモニーの事を知って興味が沸き、サンドニに行く前にちょっと立ち寄って、などと軽く考えていました。しかしメトロのコンコルド駅は厳戒体制、出入規制。「セレモニーに行く人はマドレーヌ駅で降りてください」とのアナウンス。
コンコルド広場はものすごい人だかりでした。ミサ曲が演奏され数人による弔辞が読み上げられそのあと人々は首をハネられた場所へ花束を捧げて行きました。王家の花でありお葬式にも使われる白ゆりが多かったです。ダイアナさんが亡くなった時も花が山のように積まれていましたが、あんな感じでした。ルイ16世に宛てたメッセージカード付き。
その晩のTVのニュース番組でミッテラン大統領も来ていた事をしりました。見えなかった。

そういえばギロチンって首をハネられたあと脳への酸素の供給が完全にストップするまでの約20秒間は意識があると言われているそうです。
こわいですね。しゃべれませんが、まばたきはできるらしい。
ルイ16世のときは一度失敗してやりなおしてるし。
<ネタご提供:T.Mさま>

 



住所■29, Rue Pasquier 75008
最寄駅■Harve Caumartin


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