アントワネットが、裁判を受けるために移送された牢獄。
別名「ギロチン控えの間」とも言われ、革命期には多くの囚人がここからコンコルド 広場に置かれたギロチンに向かいました。
彼女は8月に「女囚280号」として収容され、10月12日から3日間かけて裁判が行われ、その翌日にはコンコルド広場で処刑されることになります。

アントワネットが使用していた独房は、後年、娘であるマリー・テレーズ(アングレーム公夫人)によって改装され、祭壇が設けられています。当時そのままなのは床だけということです。
当時の独房の様子は、別室で再現されています。石造りならではのひんやりとしたカビ臭い空気、いつ処刑されるとも分からない状況をしのぶには十分すぎるくらいです。(右の写真はコンシェルジュリーの中庭です )
横に回ると、監視用の小窓が有り、そこからこの部屋を見ることが出来ます。
また、他の牢屋も2、3再現されていますが、牢のランクがあるのには不謹慎ながら感心しちゃいました。(個室と二人部屋、簡易ベッド付の部屋、またはゴザのみとか)
ちなみにオルレアン公(フィリップ・エガリテ) は超豪華な調度、持ち物を携えていたともいいます。
地獄の沙汰も金次第なのかしらん。

順路中の部屋の一つに、ここから処刑場に向かった人々のリストがあります。
ロベスピエール、サン=ジュスト、アンドレ・シェニエ、デュ・バリー夫人、もちろんマリー・アントワネットの名前も有りますが、部屋一面をびっしりと埋めた名前の数に、ただただ唖然です。
ギロチンで処刑されただけでなく、虐殺・もしくは暗殺された人々も考えると、革命が流させた血の量は計り知れません。



処刑前夜にアントワネットが最後の懺悔をしているところの再現。





コンコルド広場に連れていかれるアントワネット。どちらも死に際した覚悟のようなものが感じられます。
もっともこの絵のどちらも王政復古後に描かれているので、多少美化していなくもありませんが・・・


参考
アントワネットの遺書フランス歴史博物館蔵)
ベルばらでは所々略されてたので全文をのっけてみました。

アントワネット、CDデビュー!?
コンシェルジュリーの売店には、あるCDが売られていました。その名も<REQUIEM a la memoire de Marie-Antoinette>。1993年に、アントワネットの没後200年を記念して作られたレクイエムだそーです。
私は音楽に明るくないんで詳しい解説が出来ないのです、ごめんなちゃい。(それでもつい買ってしまうあたりがオタクだ)
このCDには、、アントワネットが処刑前夜に義妹に宛てて書いた手紙の朗読が入ってました。私は、こともあろうにモーニングタイマーでこのCDをかけてしまいました。目覚めは最悪でした。注意しましょう。(・・・って、誰もそんなことしないか)
値段は1995年ごろで3000円弱でした。日本で売っているのかいないのか・・・よくわかりません。ごめんなさい。

えりりん、アントワネットの裁判に出席
1995年だったと思いますが、パリでアントワネットの裁判を扱った劇が上演されるということで、パリまではるばる観に行ってしまいました。(フランス語も分からんくせにようやるわ。)
(あとから知ったのですが、この劇の監督は実写版「アンジェリク」でジョフレを演じたロベール・オッセンでした。
60年代の作品でしたが、現在も映画で主役を張るなど、活躍しているようです)

この劇の変わっているところは、「客がアントワネットの裁判に参加し、評決を下す」こと!・・・それってえと、判決毎にラストも違うのかな?

判決は4種類。「死刑」「終身刑」「国外追放」「無罪」で、一人一人にあらかじめ渡されたカードを、各々の籠に入れていくというわけ。私はどれにしたかといいますと・・・実は、そのままカードを持って帰ってしまいました。
結果的には、棄権になるんでしょうかね。風見鶏と呼んで〜(笑)
私が観た時は「終身刑」だったと思うのですが、それにもかかわらずギロチンにかけられていました。なんで???

また、多分エベールではないかと思うのですが、アントワネットを中傷するシーンでは、客がいっせいに抗議、抗議!!足をだだだだだと鳴らしたり・・・静かーに劇を観る日本人とは大違い。文化の違いを少し嗅ぎ取ったような出来事でした。
私がテイクアウトした(ぷぷぷ)札。


れっつごー

地下鉄で「シャトレ」駅、または「シテ」駅。名前の通り、シテ島にある建物です。シャトレ駅は、4本の地下鉄が交差していてやたら広いので注意しましょう。
また、となりが裁判所なせいかわからないのですが、ここでは入場前に荷物チェックが行われます。


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