えりりんさま、海音さま わたしも、初めてアニメで見たときの、このオスカルのせりふにはのけぞってしましました。あら,オスカルさまって,こんなこといっちゃう人だったの〜!って。さすがのオスカルも消極的な意味で,「女」だったのか・・・とちょっと考えてしまいました。 が、それが製作者の望む「オスカル像」だったのでしょう。
初めてアニメを見たとき,ベルばらが原作者以外の人の手に渡るとどんな味付けがなされるのだろう、と興味津々でした。(自分でもお絵描き帳にパロディーを描いてるような娘でしたから)この場面をこういうふうにとらえるのか、とか、あ、それはわたしも同じようなこと思ったよーとかいうふうに,共感したり,時にはそれはちがうんでないの、と首をかしげたりしながら見ておりました。 例えば,オスカルが血を吐くようになってからの医者のコメントは「安静にしてないとあと半年」(だったか?)で,「オスカルさま、そんなに大変なことになってたのか・・・」とアニメで気づいたり、原作では,描かれていなかった,オスカルの「もっと早くアンドレの愛に気づいていればもっと幸せになれたのに」と後悔してる場面とかがあって、アニメも興味深かったです。
いろいろなファンの方々の意見を拝見していると、「原作ではアンドレの扱われ方がいただけない」とか,「アニメでは・・・」とか「宝塚は・・・」とか、いろんな指摘がありますね〜。 わたし個人としては、「原作あってのベルばら」と思っております。で,その読者,愛好家たちが,アニメなり,宝塚なり,映画なり・・・でその人たちなりの「ベルばら」や「オスカル」を作っていったわけですから、いろんな解釈があっていいと思ってます。そのほうが面白いし,いろんな発見がある・・・と思いながら、いろんなベルばらを楽しんできています。サイドストーリーも大好きでよく読ませてもらってますが、これも「登場人物やストーリーがこうだったらいいのに・・・」という,ファンの願望がこめられてますよね。アニメも宝塚も同じでしょう。
平成版アニメ「ベルサイユのばら」があったら,当然「従う」発言はないでしょう(?)
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